岸和田と木綿の歴史

地域の発展に大きく貢献した「和泉木綿」

江戸時代、岸和田など泉州地域には綿作地が大きく広がり、
「和泉木綿」と呼ばれていました。
木綿を栽培し、実綿を売ったり紡糸・織布まで手掛けるようになると、
収穫量を高めるために魚肥である干鰯(ほしか)が商品として成長。
それに伴い地域の漁業も、染色としての藍(あい)業も盛んになります。
物資輸送も活発になって大きな廻船問屋が生まれるなど、
木綿は地域の発展に大きく貢献してきました。
明治時代には泉州紡績地帯を形成し産業革命を推し進める原動力に発展。
昭和の戦後の時期も全国有数の紡績・織物の産地として栄えました。

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